死ねばいいのに。

意地悪をずっと職場で受けてきた。

持ち前の明るさと我慢強さと前向き思考で頑張ってきた。

2年。くずはクズだな~。

心が重くなってしまった。

今まで、あんなに心の貧しい人たちがいなかった。

この年で出会った。

だから、普段は言わない、思いもしなかった。

死ねばいいのに、罰が当たりますように。

を言うようになるほど荒んでしまった。

アタシがかわいそう。

仕事辞めよう。

勝負?

好きすぎて、どうしようもない。

この感情って、なんなんだろう?

今こんな、中にいる。でも、全部を知ってがっかりするのは嫌だったり、

でも、全部知っても「含め」な気もするし…

だからって欲しいわけじゃない。

でも、温かい日差しでなんか、一緒にいるような…

温かさを感じる。ううん。ずっと温かい。心臓が熱いままだ。

でも、面白いのが、突き詰めていくと「勝負」になる。

彼に、負けないように何か勝てるものを…!

自分を高めなきゃ(何を?)

自分の誰にも負けないもの見つけなきゃ。

きっとあるから。焦ってはいない。

 

私、おつかれ。

職場で、「なんで?こんなに頭を使わず、間抜けなことを

正しいと化石のように信じ込み変化に対応できない人ばかりなのだろう?」

そのことが、どうしても府に落ちない。

今、変わりつつある時なのだが、変ることに恐れを持っているのかもしれないな。

アタシは特性が変化を好む。

多くの人間は、そこにしがみつき、自分の世界を変わらないように動きに逆らうように

生きていくのかもしれない。でも、破たんが来るのは見えている。

破たんは言い過ぎか?

変化するのだ。それが自然なのだから…生きてるのだから、

自然に逆らわず生きていく、いつだって私たちはそう生きていくしかない。

それは、小さなくくりの上司や世界でなく、もっと大きなものを壁はないと信じながら、だから、小さな世界しか見てない人は自分の存在意義が小さくなる。

その中でマウントを繰り返す。

本音はあほ。

でも、それで切り捨てては私も小さいのだ、だから意義を見出そうとする。でもなんか意味あるんだろうか?

最近「比べる」は素晴らしいと思うようになった。

以前は、比べることは優越に浸る下品なことと思っていたが、

比べる対象があるからいろんなキズカナカッタ事を知れる。

ひとつ、自分の父を尊敬できるようになった。

まだ、自分の家庭が世界であった時、そのように当たり前で、比べることもなかった。

私の世界を広げた時、父は尊敬に値した。

おそらく遺伝子で、それはそうなるようにできている。

遺伝子にその情報にきずくとそう自然と思うのである。のじゃないかなぁ。

 

 

おはよん

この前は、凄い短い時間の中でどれだけ親切心を沢山見たことだろう

電車で出かけたのだが、最初から親切な青年から始まり、帰りの電車ではあたしも、彼を見習わなきゃ。と思いだった。

不思議とこの様なことは「伝染」するようだった。

次々と私の目の前でそれは起こったのだ。

今日の出来事を、ほっこり不思議に感じてる自分に、次の瞬間起きてしまった。

中年の女性が後ろの席が空いた事にきずき、持っていたバックを席に投げ、吊り棚の自分の小さな紙袋を取って、そのキープした席に座ったのだ。その数秒の出来事が酷く残念だった。今日のほっこりの出来事が汚されてしまったかのような気がした。

そもそも、電車は混んでなく、まず席に座って、降りるときにその小さな紙袋を取って下りればいいんじゃないか?きっと彼女はいつも「奪われる」と思って生きてるに違いない。なんて考えてる時、「なんで私は彼女にがっかりしたのか?」

ふと、きずいた。私はそうゆうことに「品がない」という、意識を持っているのだ。

どうでもいいじゃないか、それはわたしの基準であって、彼女は、もしかするともっと違う価値観を持っているのかもしれない。

「親切」に価値を持っている私がいるんだなあ。

 

おはよう

とにかく忙しい一週間だった。

そして、エキサイティング。

予定通りに、こなせたし…。

その中で、疲れ知らずの自分がいて、

「これは、後でパタッと倒れるんじゃないか?」

なんて、考えたり…、あまりにも楽しい事が続いたり、スンゴイ大変だったり…

両極だった。それが終わると、

暴走してた頭が少し落ち着いてきた。平常心?

何だろな?なんだったのかな?

この想いが、自分に取り込まれた感?私の一部になった。?

う~ん、切り離してはないんだよな。うまく取り込まれてる気がするんだが…

安心とか平安なんだよな。異差がない。段差がない。外と内がない。私とあなたがない。

〇っとしてる。覚悟がある。